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蝸牛角上

読書メモ。あらすじ。というよりダイジェスト?

レ・ミゼラブル その24 (ビクトル・ユーゴー作 豊島与志雄訳)

破滅

 ナポレオン軍は壊走した。


 混戦の最悪なるものはすなわち壊走である。

 戦友も逃げんがためには互いに殺し合う。

 騎兵隊と歩兵隊とは互いにぶつかって砕け散乱する。

 戦いの大いなる泡である。


 ナポレオンは逃走兵のうちを駆け回って、

 彼らに説き、

 うながし、

 威嚇し、

 切願した。

 その朝、

「皇帝万歳!」

 を叫んだすべての口は、今はただ呆然とうち開いているのみだった。

最後の方陣

 近衛兵の数個の方陣は、壊走のなかにふみとどまって、夜になるまで支持していた。

 夜は来て、また死も来た。

 各連隊は孤立し、各自に最後を遂げていった。


 夜の9時ごろ。

 モン・サン・ジャンの高地の裾に、方陣のひとつが残っていた。

 その一隊がひとにぎりの兵数にすぎなくなったとき、イギリスの集中攻撃の準備が整った。


 イギリスの将軍は彼らに叫んだ。

「勇敢なるフランスの兵ら、降伏せよ!」


 カンブロンヌは答えた。

「糞ッ!」

カンブロンヌ

 あの言葉を発して、次に死する。

 それ以上に偉大なことがあろうか。

 なぜならば、死を欲することは実際に死することである。


 ワーテルローの戦いに勝利を得た者は、

 敗北したナポレオンでもなく、

 4時に退却し5時に絶望に陥ったウェリントンでもなく、

 自ら戦闘に加わらなかったブリューヘルでもない。


 ワーテルローの戦いに勝利を得た者は、

 彼、カンブロンヌである。

 自分を殺そうとする雷電を、かくのごとき言葉で打ちひしぐことは、すなわち勝利を得ることである。


 カンブロンヌの一言に、イギリス人は答えた。

「撃て!」

 砲列が火を噴いた。

 煙が散ったときには、もはや何物も残っていなかった。


 近衛は全滅した。


指揮官へは何程の報酬を与うべきか

 ワーテルローの戦いは、ナポレオンにとってはひとつの恐慌だった。


 ウェリントンは戦いの数学者である。

 ナポレオンは戦いの芸術家である。

 そしてこのたびは天才は計算に負かされたのである。


 ナポレオンはグルーシーを待っていたが、彼は来なかった。

 ウェリントンはブリューヘルを待っていたが、彼はやって来た。


 ワーテルローは、二流の将帥によって勝たれたる一流の戦いであるる

 ワーテルローの戦いにおいて賞賛しなければならないのはイギリスであり、イギリスの強靭、イギリスの決意、イギリスの血である。

 その将帥でなく、その軍隊である。


 今日、ワーテルローの平野には、夜、幻の靄がたちのぼる。

 大破滅の幻覚が。

 歩兵の列、疾駆する騎兵。

 サーベルのひらめき、銃剣の火花、破裂弾の火災。

 瀕死のあえぎのごとき、幻の戦いの叫喚のひびき。

 あの影は擲弾兵

 あの微光は胸甲騎兵。

 あの骸骨はナポレオン。

 あの骸骨はウェリントン

 その上には、互いに殲滅しあう幽鬼の旋風が荒れ狂っている。